死にたいを食べる

三浦春馬の訃報にショックを受けている。私は小学生のときに放送されていた14歳の母というドラマで三浦春馬を知った。その後の恋空やブラッディマンデイはめちゃくちゃ好きなドラマだった。彼の役で一番好きなのは風早君だった、君に届けの実写は最高だった。三浦春馬はもうこの頃から=風早君のイメージになった。私も今年25歳になる。高校生の恋愛映画にさほど興味がなくなったものの、青春映画の歴代最高のさわやかイケメンは風早君だとおもっている。彼がこの世に残したものは永遠に存在する。同時に彼がこの世に居たこともだ。

ご冥福をお祈りします。

 

 

仕事に行っても仕事がない

コロナとか関係なく会社には出勤してるけど、出勤しても仕事がない。定時まで続ける仕事がない。なんとか人に頼んで与えられるのは雑用だけで、ほとんど喫煙所に居る1日を過ごしている。最初からこうだったわけじゃない。積極性を出してなんでもやります感は出していた。とりあえず出社してやることありますかーて毎日繰り返した。私が悪いのか、何が悪いんや。直すから教えてくれよ。存在してないレベルで扱われるのは辛いんやわ。空気かよ。いや、空気でも必要とされてるわな。ないと困るわ。ならそれ以下ってことか。どうしていこうか。

トイレ

書きたいことがない、いや、なにかを書けるような日常を送っていないのか。書くことがない。自分のブログを放置して人のブログは見まくっている。だいたいトイレ中に読むことが多い。会社のトイレはというと、居心地がいい。肩にカーディガンをかけて(腕を通さずに)ヒールをカツカツいわせて、タイトめなスカートで、いかにも男受けを意識させたOLたちがいる職場では唯一の逃げ場である。そんなおんなたちも、トイレでは屁をぶっぱなして、手荒い場で化粧直しをして、何事もなかったかのようにデスクに戻るわけである。おんなたちの小脇に抱えたそのポーチにいったい何が入っているのか私は知らないが、便所トークはきまって、なになにがなになにで、だれそれがどんなミスしたか、どうのこうのエトセトラだ。つまりおんなたちのくちというのは肛門と一緒なのだ。どれだけムカつく女上司でも、こいつ肛門で会話するタイプやん。と思えば、どんな濡れ衣を着せられたとしても聞き流せるのだ。そんな肛門おんなたちの中で働く私は、会社の法定雇用率を満たすためだけの要員である。つまりは社内ニートだ。机に座って、ただ定時になるまで時を待つのが仕事だ。そんな社内ニートの昼休みというのは、非常につまらないものだ。

肛門おんなたちが、よって集ってコンビニサラダを食らう。そんなサラダごときで、あれだけぶっ放す屁どうやってだすねん。と、ほくそ笑みながら私はてりたまを食べる。(もちろんこの後、わたしは完璧な屁をぶっ放した) そして私はトイレをしたとき小のボタンを押さない。必ず大で流してやる。いろいろ便器のなかに流すことで平常心を保つのだ。いかにクレイジーに出社してやるかが今の私の原動力だ。2月末に私は襟足を金髪に染めた。ドレスコードすらもぶち破っていくスタイルで社内ニートをしている。白い目で見られても、私は肛門おんなたちに迎合していくつもりはない。しかしオフィス内を見渡してみれば、そんな肛門おんなたちも、社内の男衆にとってはバラのような存在なのだ。トイレでいうところの消臭元と私はみている。となれば、オフィスというのはある種のトイレであって便所であってレストルームなわけだ。は?

 

流すボタンのない永遠のトイレ。それワタシの職場です。

 

勝手に減薬

 

タイトル通りなのですが勝手に減薬しています。エビリファイを抜き6日目ぐらいです。調子はどうも不安定です。しばらく落ち込みそうですが踏ん張ってみます。関係ないのですが、Twitterをやめました。なんとなくみていることが、なんだかつらくなってくるのでやめました。

アニメ見て漫画見て、それだけでよかったんですけどね、空元気というか、無理して人と関わろう。みたいな欲が急に出てきて、嫌になります。

この世界との約束

約束は苦手だ、なぜなら守れないから。生まれてこの方、人生とっ散らかっていて、どうも上手く順応できていない。人が苦手なことも相まって、現実感がない。現実感がない中でも、自分とこの世界で約束が出来た。約束と言うほど大層なものではない。本当の贅沢とはどういうことかを知ったきっかけもあり、この世界との約束ができた。私は生きている、私は仕事に行く、私は帰り道にレディオヘッドを聴く、私は夜に散歩をする、そして薬を飲んで眠りにつく。くる日も来る日もこんな感じで、薬のせいもあって現実感がない。ここにいるという感覚が薄らいでいる。主治医は優しい。味方であるような態度をとってくれる。職場の人間たちもある程度優しい人間がいる。私が見る世界はカラーバーのようだ。そして不要な雑音も合わさる。よくわからない。この感覚が薬の副作用なのであれば、それはそれでいいと思う。通院日、障害年金の話をした。主治医はとても協力的だった。私の状況を踏まえて診断書を書くと言ってくれた。ありがたかった。生きてく道が垣間見えた。学歴もない。戦える武器はなに一つない。それでも生きて行く道が見えたのは嬉しかった。

双極性障害発達障害関連症状と診断を受けたときからいろいろと目まぐるしく環境が変わった。いまだかつてまとまりのない自分たちは取り残されたまま、生活を過ごさなければならない。そして診断名は私ではない。私はこのまとまりのない自分が私なのだ。精神異常をきたした私と、それを社会的に支えて修正をかけていく私、何役もそれぞれが担って私が形成されている。このまとまりの無さから、誰かに信頼を置きに行くとき、どの自分を選べばいいか私はわからない。私の中の誰か一人がこの世界と約束を交わしている。その一人に全てを任せていいのだろうか。うつの時に励ましてくれる一人にするべきだろうか。

障害年金の手続きをまともにできる自分がいま誰一人居ない。

自分の中のすべての私が障害者ではない。精神異常の一人が障害者であってそのほかは障害者ではない。繰り返すミスも遅刻も、うつも躁も、買い物衝動も、全てが障害のせいではない。就労支援の人に最近言われた言葉、「それ、病気じゃなくて性格」人からすると性格という表現になるのだろう。しかし、それは私の一部の自分であり、マスダの中の全てのマスダがそれを呈してるわけではない。その事は人に伝わりづらいので、雑に幾度もなく傷がつく。人に伝わらなくてもいい。私の中の私誰か一人が受け止めてくれたらそれでいい。そして誰か一人がこの世界との約束を忘れなければ尚いい。

戻る場所

昨年、仕事を辞めてからブログを始めた。そして今年、バイトを経て7月から障害者雇用で働き始めることになった。すべて自分が選んだ道だ。人、場所、仕事、全てに対応することに力尽きて、ほとんどブログを書かなかった。仕事をしていなかった時、私は、このはてなブログにとてもお世話になった。そして今後もお世話になると思う。障害者雇用で会社に勤め出して2ヶ月経つ。まだまだ慣れない毎日を過ごしている。仕事に行くとどうやら、そう状態が続く。そしてまた太り始めた。先月から毎晩、雨の日を除いて夜は歩いている。通勤のときも駅まで歩いている。これで運動というのだろうか。わからないけど歩いている。

最近、通勤路で強盗があった。怖い話だ。怖い話でもうひとつ書いておくと、私は最近、人と別れた。別れたというのも約3年間仲良くやってた人だ。情動的な関係を8月ぐらいに持ってしまった。

その人は私に対して好きだとかどうのこうの並べていた。でも結局は、ゴムなし男だった。なので私は別れという選択をした。早く生理が来て安心したい。自分の性がわからない。わたしには好きな人がいる。それも6年間片思いで、一向に叶わないものだ。小学生ならもう卒業する年だ。そろそろ卒業してもいいのではないかと迷う。そして仕事の話をすると、毎日いろんな仕事をしている。それも人の仕事の手伝いだ。人の仕事の手伝いでも会社や社会に属している気持ちになるのでそれはそれでいいと思っている。先程、眠剤をのんだ。これがまた最近薬が効かなくなってきていて悩んでいる。3週間に一回の通院、私にとってはいつだって戻れる場所のように思える。仕事をしていない時、バイトを始めた時、そして今。いつだって受け入れてくれるような気がする。お金は飛んでいくけど、それでもいい。人間、一人で生きていくのは難しい。ほとんど無理ゲーだ。それでも生きていく。人に食いつぶされても生きていく。障害者として偏見の目を向ける人もいる。顔を変にひきつらせながら挨拶をしてくる人もいる。私はそういう些細なことに過敏なところがあるのでよくわかる。障害者としての一部だけを見てくる人とは反りが合わない。合わないけど合わせていく、その力をいま試されているような気がする。

私の一部分だけを見て好きだとかどうのこうの御託を並べて肌を重ねる、そんな自分にも相手にも、とてつもない気持ち悪さにいま腹の底から吐きそうになってブログを書いている。しかし今生きている感じがする。自分の人生は無傷で生きることは出来なさそうだ。傷を負ってどこまで生きられるだろうか。ゴムなし男とは秒速で疎遠になった。馬鹿な男だと蔑む気持ちが少し自分の中にある。でも生きている実感がある。それはゴムなし男がくれたものだ。傷をつけ、心に痛手を負い、体の心配を植え付けられる。

ゴムなし男、最低!と思うが、四十も超えてセックスガヘタクソだったのには地球の底から驚いた。ゴムはつけよう。

唐突だが、私は自尊心が低い。過去記事でもそういう側面が出ていると思う。自信がない、覇気がない、何度も人から言われた。薬でアッパーになっている日は元気もりもりを演じることができる。

薬ありきの人間関係は破綻するとおもう。どうせなら雑談でローペースでローな自分で過ごしたい。会社に一人私に話しかけてくる女性がいる。小綺麗な人だ。会えばよく話しかけてくる。ありがたいが人の腹の底を常に見つめてしまう。やましい自分。そして、自臭症に悩んでいる。もうかれこれ生まれて物心ついてからの悩みだ。病院では言ってない。自分のにおいで悩むひとに効く特効薬はあるのか知らないがおそらくないんじゃないかと思って病院では相談したことがない。私はくさい。そしてタバコも吸うので尚くさい。電車なんて最悪の場所だ。でもがんばって会社へ行く。会社へ行っても最悪だ。距離が近い人もいるし、むしろその場で自分がいるだけでにおいが充満していると思っている。自己臭症はどういうプロセスを経て治るものなのか知りたい。カウンセラーのひとと認知の歪みを矯正したところで、この自分から放つにおいが消えるのか知りたい。しかし金がない。どうしたものか。

金がないついでに、はたらけど働けど、安月給なので支払いが溜まる。とりあえず今月はカードローンでなんとか凌いだ。いつ破綻するのだろうか。しないように気をつけないとな。

毎晩、レディオヘッドを聴いて寝る。マイルールだ。ルールを壊されると非常にテンパる。1日のスケジュールがバラバラと音を立ててなくなるように混乱する。足元には予定なりなんなりの破片が散らばる。眠剤のせいか健忘もひどく、忘れっぽくなってきた。ボケてる感じだ。行った場所とかも忘れて言ったことも忘れ、聞いたことも忘れる始末。

でも生きている実感がある。実感はあるが誰かに動かされている人間のようにも感じている。それは、ずっと現実感がないのだ。現実感の消失。誰と話していても自分じゃないと思う。気持ちの悪い感覚だ。本当はそうじゃないのにな、などと自分の中で思っている。現実感もくすりでボケたせいなのか、よくわからない。買い物も頻繁にしてしまう。カードの支払いはついに10万を超えてしまった。これからどうやって生きていくのだろうか。真面目にはたらけぇこの豚野郎。そう自分が言う。とにかくお金がない。そう状態を早く脱出したい。昼ごはんがない。同居の無職の母と今後生活どうするかという話をする。お腹が空いている。

誕生日ケーキを買うよりも、明日を生き抜くごはんを手に入れたい。母と共倒れになるまえに。